東京地方裁判所 昭和39年(ワ)3028号 判決 1966年3月31日
原告
柏木厚
右訴訟代理人
上条貞夫
同
近藤忠孝
同
浜口武人
被告
日立電子株式会社
右代表者
久保久雄
右訴訟代理人
橋本武人
同
吉沢貞男
同
小倉隆志
同
浅岡省吾
主文
1 原告が被告に対し労働契約上の権利を有することを確認する。
2 被告は原告に対し金一四、九四七円及び昭和三九年五月以降毎月二五日限り金二二、〇六四円を支払え。
3 原告が株式会社日立製作所九州営業所に勤務する義務のないことを確認する。
4 原告その余の給付の請求を棄却する。
5 原告その余の確認の訴を却下する。
6 訴訟費用は被告の負担とする。
7 第二項は、仮に執行することができる。
事実
第一、当事者双方の求める裁判
一 原告代理人は、(1)主文第1項同旨並びに「(2)被告は原告に対し金二四、五〇九円と昭和三九年五月以降毎月二五日限り金三六、一七九円を支払え。(3)原告が被告電波機器部マイクロ波設計課以外に勤務する義務のないことを確認する。」との判決及び(2)につき仮執行の宣言を求め、
二、被告代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。<以下―省略>
理由
一、請求原因一、二の事実(本件出向辞令書交付の日を除く)は、当事者間に争いがない。
二、原告は、被告には原告に対し九営への出向を命ずる権限はないと主張するところ、被告は三点の論拠を掲げてこれを争うので、以下右論点につき検討する。
1 経営権
被告は、まず、およそ使用者は経営権に基き業務上の必要に応じ従業員に出向を命じ得る旨主張する。ところで、使用者が企業体の経営者として労働者の労働力を業務目的のため利用処分する権能は、当該労働者との契約により初めてこれを取得するところであつて、この契約関係を離れて、労働力を処分利用できる使用者の固有権限は存しないものといわなければならない。しかして、右労働力の処分利用を目的とする雇傭契約は、民法六二三条にいうとおり労務者が使用者に対してその指図(指揮命令)下に労務に服し、その対価として賃金を得ることを内容とし、目的たる給付の性質上使用者と労務者との間における命令服従の人的関係をその基盤とするものであつて、右契約の特質に鑑みれば、労務者は別段の特約がない限り当該使用者の指揮命令下において使用者のためにのみ労務提供の義務を負担し、使用者が労務者に求め得るところも自己の指揮命令下に自己のためにする労務の給付にとどまるものと解するのが相当であり、民法六二五条が使用者の第三者への権利譲渡、労務者の第三者による労務提供につきいずれも相手方の承諾を要する旨規定した趣旨も、上述したような労務給付義務(又はこれに対応する権利)の一身専属的な特質を考慮したものといえる。右のような雇傭契約の特質は、近代企業において使用者・労務者間の人的関係における個人色彩が薄れ、組織化された雇傭関係においても失われるものではなく、むしろ法はかような労務者の特定企業への従属性を配慮して、使用者に対し労務契約締結の際労働条件の詳細を労働者に明示することを要求することにより(労働基準法一五条一項、同施行規則五条)、労働者の保護を図つているのであつて、右法の精神からいつても、使用者は労働契約に際し明示した労働条件の範囲を超えて当該労働者の労働力の自由専恣な使用を許すものではなく、当該労働者の承諾その他これを法律上正当づける特段の根拠なくして労働者を第三者のために第三者の指揮下において労務に服させることは許されないものというべきである。
原告が入社に際してマイクロ波関係の技術職を希望した際被告会社側において営業技術職につき説明したが、他の会社への出向の点については何ら言及しなかつたことは清水源一郎(第二回)の証言により明らかであるところ、本件出向命令が原告に対し雇傭契約の第三者である日立の指揮命令下にその九営の業務について労務を提供すべきことを命じたものであることは被告の自認するところであり、使用者の企業経営権に内在する固有の権能として当然に労務者に対し右のような労務の給付を命じ得るものでないことは、叙上判示のとおりであるから、この点に関する被告の主張は理由がない。
2 慣行
(1) 被告は、出向制度が被告会社において慣行として確立していたものであり、その業務命令による実施に一般従業員は何らの疑問も抱かず、原告自身もこれを肯定していたものと主張する。たしかに労働契約締結に際し当事者間に明示の合意がない事項についても、それが企業社会一般において、或いは当該企業において慣行として行なわれている事項である場合には、黙示の合意によりそれが契約の内容となつていると認められる場合があり、又契約締結時にはそのような合意を認められない場合でも、労働契約関係が現実には長期に亘る継続的契約であつて、労働関係の内容が多種類且つ流動的なことから契約締結後に契約内容と異なる慣行が長期間に亘つて労働関係を律し、当事者もそれによることを黙示的に合意していると認められる場合には、その慣行によつて当初の契約内容が修正されたものと解する余地があることは否定できない。しかし右にいう慣行とは、当該慣行が企業社会一般において労働関係を律する規範的な事実として明確に承認され、或いは当該企業の従業員が一般に当然のこととして異議をとどめず当該企業内においてそれが事実上の制度として確立している底のものであることを要する。
(2) わが国の企業社会において従業員の出向が少からず実施されていることは、その形式により成立の推認される乙三、四号証によりこれを認めるに難くないけれども、大多数の企業においてこれが広汎に実施されていること、出向につき当該労働者の同意を要しないものとして取り扱われていることについては、これを認めるに足りる証拠がない。これを日立系列会社に限つてみるのに、清水(第二回)証言及び右証言により成立の認められる乙九号証の1〜9、一〇号証の1〜31によれば、日立を除く日立系列会社三八社のうち約三分の二の会社において同系会社への従業員の出向が行なわれているけれども、右出向が行なわれている会社でも昭和三六年四月以降同三九年末頃までの間の出向人員三名以下のものが一〇社近くにのぼることが認められ、それによれば日立系列会社に限つて考えても、出向が広汎に実施されていたものということはできないばかりでなく、各系列会社において出向者の待遇等の取扱いが区々に亘り、系列会社を通ずる共通の出向制度というべきものは存在せず、とくに出向が当該労務者の意思にかかわりなく実施さるべきものであるかの点について、就業規則に従業員が出向を命ぜられた場合これを拒否することができない旨を明確に規定するものは数社にすぎないことが認められる。したがつて、わが国企業一般或いは日立系列会社において前述したような意味における出向の慣行が存在する旨の被告の主張は、たやすくこれを肯認することができない。
(3) 次に被告会社内における右慣行の存否について検討する。
まず原告の入社当時の状況についてみるに、≪証拠略≫によれば、昭和三五年四月原告の入社当時、三名の従業員について出向が実施されていた事実が認められるが、右事実だけでは当時被告会社において出向につき前記のような意味の慣行が存在していたと認めることはできず、他にそれを認めるに足る証拠はない。
次に入社後出向の慣行が確立してきたかどうかについてみるのに、(イ)被告会社における昭和三九年一月末日までの出向事例、出向先及び出向者の員数概数が被告主張(第三の六(四)2(2))のとおりであること、出向はその都度社内報等で被告会社従業員一般に周知せられていたこと、出向について労働組合が異議を述べた例がないことは、いずれも当事者間に争いがなく、≪証拠略≫を総合すると、被告会社は昭和三〇年六月設立され日立戸塚工場内で開業、同三三年現在の東京都小平市に本社、工場を移転したものであるが、被告会社は営業部門をもたず、製品の販売面は他の日立系列会社に依存せざるを得ない事情から、日立系列会社より営業技術員の派遣が要請された場合出向等の形式により従業員を派遣することは被告会社の営業上もその必要性がないわけではなく、同三三年一〇月から日立への出向が実施されるようになつたこと、被告会社が出向発令をするには少くともその半月前にその旨を当該従業員に内示していたが、本件の場合以外に従業員が出向を拒否した事例は存在しなかつたこと、出向者に対する賃金、賞与はすべて被告会社から支払つていたことが認められ、以上の認定に反する証拠はない。以上の事実によれば、被告会社において昭和三九月一月末までに二八名の従業員が出向命令に従つて日立系列会社に出向し、一般従業員もかような出向の事実を知つていたことが明らかであるけれども、そのことから直ちに従業員一般が会社には出向命令権があり、出向命令には当然応じなければならないと確信していたものと速断することは疑問である。すなわち、わが国の企業における実情からすれば、従業員が業務上の必要ありとして会社より出向を命ぜられた場合、それを拒否すれば将来の地位、職種等に不利益を蒙るであろうとの危惧を抱くことは極めて自然であり、それ故に出向を命ぜられた従業員において右危惧にもとづく自主的判断から明示又は黙示の同意をしたものと推側する余地があるからである。そこで前掲出向事例を更に詳しく検討すると、<証拠略>によれば昭和三六年八月原告ほか二名が日立戸塚工場へ出向したのは出向後の労働条件等について被告会社と話し合つた末これを応諾したものであること、花岡英明の証言によれば、同人の出向は被告会社の発意によるものではなく同人自ら希望した結果であること、<証拠略>によれば出向者の過半は出向中出向先会社に転属していることが認められる。なお、転属につき本人の同意を要することは被告も認めるところであり、従来出向により賃金等の労働条件において格別不利益になつた事例がないことは後述のとおりである。以上の諸事実は、出向者の多くが自ら出向を希望し、或いは希望しないまでも出向の利害得失を自主的に判断したうえ被告会社の申出に応じたまでであるとの推測を裏付けるものであり、従つて出向者らが例外なく被告会社の出向命令に応じた事実をもつて、被告会社の従業員一般が出向の義務を明らかに是認していたものと断ずることはできない。(ロ)組合が従来組合員の出向につき異議を述べたことがないことは当事者間に争いがなく、本件出向問題についても原告を支援しない立場をとつたことは成立に争いのない乙一四号証により認められるけれども、前記のとおり従前は組合員が出向を拒んで紛争を生じたことがなく、本件原告の場合にも当時の出向拒否理由が出向命令権の存在自体を否定するものでなかつたことは被告自ら主張し高見(第二回)証言によつても明らかであるから、右組合の態度をもつて被告会社の出向命令権自体を是認していたものと即断することはできない。<証拠略>によれば、被告会社においては、従来出向により賃金、労働時間において不利益を与えられた例はなく、出向後も一般従業員の例に従つて実際上昇給させているが、出向者の賃金、服務、身分等の取扱いにつき明確な基準が定められているわけではなく(就業規則については後記3のとおり)、出向期間もその時々に応じて決めることも決めないこともあり、就業規則についてもどの範囲で被告会社又は出向先のものを適用するかはその都度決めていたことが認められる。(ニ)原告が以前に日立戸塚工場への出向に応じたことがあり、又本件出向命令を拒否した当時には出向命令権自体の不存在を主張していなかつたことは前記のとおりであるが、その事実だけから原告が被告会社に一方的な出向命令権があること自体を是認していたものということはできない。
これに要するに、被告会社においても、(1)に述べたような意味における出向の慣行が確立していたものとは認められない。
3 就業規則
被告の就業規則(昭和三八年一二月二日改正実施)に被告主張の定めのあることは当事者間に争いがないところ、同規則三二条は日立系列会社からの転属者の勤務期間通算に関する規定であつて、出向者についてもその適用をみるものとは読みとれないし、同五八条一項は一ないし五号として休職事由を列記しているが、その三号にいう「社命により社外の業務に専従するとき」とは会社の職制上いかなる場合をさすのか文意必ずしも明らかでない。仮に右三号の規定が出向の場合を含む趣旨だとしても、右規定だけで被告の主張のように従業員の出向義務を根拠づけることは相当でない。すなわち、雇傭契約の性質につき上記1に判示したところに従えば被告が主張するような出向義務を認めることは契約内容の重要且つ労務者に不利な修正というべきであるから、仮に就業規則に契約変更の効力を認める見解をとるとしても、その根拠規定は規則上明白なものであることを要するものというべく、出向義務に関する直接規定もなしに休職事由の規定中前記三号のような不明確な定めがあるからといつて、就業規則上出向義務を創設したものと解することはとうてい困難である。
三、被告は、原告の本件出向拒否は業務命令に反し、就業規則五六条一項九号の懲戒解雇事由に該当すると主張するが、右に述べた如く被告会社には原告に対し一方的に出向を命ずる権利はないのであるから、原告が出向に同意しなかつたことは右規則の条項にいう規則ないし業務命令の違反には該当しないものといわざるをえない。就業規則の懲戒処分の規定は、使用者が懲戒権行使につき自律的制限を課したものというべく、右基準に該当しないのにかかわらずなされた原告に対する本件懲戒解雇は、就業規則の懲戒規定に違反するものとして無効といわなければならない。従つて、被告会社の従業員としての権利を有することの確認を求める原告の請求は理由がある。
本件解雇以降原告に支払わるべき賃金月額については二二、〇六四円の限度においては被告も認めて争わないところというべきであるが、それを超える部分については証拠がない(成立に争いのない甲四号証によれば、右解雇前六ケ月間に原告が支払を受けた毎月の賃金及び賞与の額が明らかとなるが前者についても、その内訳或いは算定の基礎が明らかでない以上、これをもつて、本件解雇以降原告が受けるべき賃金算定の根拠とならない。)。従つて、原告の賃金支払を求める請求は、右認定の限度において理由がある。
請求の趣旨(3)については、原告に対する本件出向命令が無効であることは前記のとおりであるから、原告が出向を命ぜられた九営に勤務する義務がないことは明らかであり、その確認を求める限度においてこれを認容すべきである。しかし、右の範囲を超え九営以外の場所においても勤務する義務がないことの確認を求める部分のうち、被告会社工務部技術課については、電波機器部マイクロ波機器設計課から右技術課への分掌変更が本件出向を前提としていることは争いのないところであり、現在の紛争関係は出向先九営勤務のないことが確定すれば解決することとなり、爾余の場所については現在紛争関係を生じていないから、いずれも確認の利益がないものというほかはない。
四、よつて原告の本訴請求は、原被告のその余の主張について判断するまでもなく、右認定の限度において理由があるからこれを認容し、その余の金銭請求の部分は棄却し、その余の確認請求の部分は却下することとし、訴訟費用については民事訴訟法八九条、九二条但書を適用して主文のとおり判決する。(橘喬 高山晨 田中康久)